サイト開設10周年記念企画『反省文』


10周年記念漫画

■序文

早いものでサイトを開いてから10年経った。

困った。10周年企画でやることが何もない。

この10年このサイトで何をやっていたかといっても、積み上げてきたものが全くない。オリジナルキャラもいないしWebマンガもやってない。冒頭のマンガのキャラはハガキ投稿時代のもので、彼女らの登場するマンガの一本も載せてない。

この10年をひとことで言うなら「何でもかんでもやろうとして何もできなかった」という所だろう。「私にできること」の見極めができなかったとも言える。

紆余曲折を経て現在はブログと同人活動情報が中心となっている。ほぼ同人サークル『タケノコプロ』の受付所である。このためサイト名も実態に合うよう変更した(この経緯については後述する)。

身も蓋もない話をすると、同人活動すら満足にできていないのにサイト更新に手が回るわけがないのである。

愚痴っぽくなってしまった。今回は10年間を振り返っての反省文である。このダメサイトがどのような思惑で作られ、そして失敗しているかを綴ることによって、これからサイトを運営しようという人にとっての反面教師となれれば幸いである。

それでは、このサイトの10年間の迷走を時系列で追って行こうと思う。

■1998年9月1日 サイト開設

開設時のサイト名は『From_G』。

当時の私は『セガサターンマガジン』などのゲーム雑誌の読者ページにハガキ投稿をする、いわゆる《ハガキ職人》だった。これがサイトにどう関係してくるかというと、『種々雑多なコーナーを取り揃え、それぞれにネタを提供する』という雑誌の読者ページの形式を踏襲しようとすることに繋がる。しかもネタを出すのは一人である。無茶である。当時話題になったゲーム『センチメンタルグラフティ』になぞらえて「12のせつなさの扉」を用意するが実際に埋まったのは半分程度。開いてみたら『工事中』という実にありがちなダメサイトになる。後に生きているコンテンツを残しインデックス整理。

【教訓】いきなりいろいろやろうとしない。

1998年12月、コミケデビュー。サークル名は『クルクルパワーズ』。セガジャンルにてハガキ職人仲間と同人誌を作る。サイト発足からかなり早い段階で「ネタがあるなら同人に」という考えが生まれてしまう。(今は速報性の強いもの、ページの少ないものはWeb向きだと考えている)

【教訓】同人とWEBの使い分けを考えよう。

■1999年 ファンサイトも始める

サイト内にドリームキャスト応援サイトを設ける。明らかにキャパシティオーバー。読者にウソ情報を投稿してもらう『レンタヒーロー情報局』が割と成功したコンテンツ。セガBBS特集『セガBBSクロニクル』は、『セガBBSの歴史』を書いた所で頓挫。しかもセガBBSの終焉まで追っていない。

【教訓】読者参加型コンテンツはしかけと人集めができれば面白くなる。しかしそれが難しい。

8月ごろ、アニメ『おジャ魔女どれみ』の感想日記を突如始める。26話から始め33話まで書いて頓挫。

【教訓】自分の更新ペースや書ける量を把握していない計画は頓挫する。

8月、セガ応援企画として営団地下鉄の『シェンムー』スタンプラリーを取材。いい写真を大量に撮るが、ホームページスペースの制限容量をオーバーしてしまうこと、撮れた写真が『シェンムー』のネガティブキャンペーンにしかならないことなどの理由により公開を見合わせる。(写真は今mixiのフォトアルバムで公開している)

【教訓】ファンだからこそ公開できないものもある。(今は時効)

■2000年 同人へのシフト

9月、個人サークル『タケノコプロ』発足。コミケ以外の即売会に参加することで、ますます同人活動告知ページと化す。

■2001年 まぐれ

2000年12月に発行した『おジャ魔ジョジョれみ』のサンプルページがあちこちからリンクを張られる。

以後、同人誌のサンプルページを作ることが恒例となる。しかしサンプルだけではネットオンリーのユーザーの満足度に結びつかないことは理解するべきである。

【教訓】何かが幸いして1コンテンツが大量のアクセスを集めることはある。しかしその多くは一見さんであり、リピーター獲得にはコンテンツの充実と導線作りが重要である。

■2002年 サイトの方向性とデザイン

初期コンテンツのほとんどを『旧コンテンツ』にまとめる。第2次インデックス整理。

何を思ったかトップページからロゴ、バナー、カウンター以外の画像を廃しテキストオンリーにする。このときは「シンプルなサイトってカッコいい」と思っていたようだが、『同人』・『漫画』という方向性になったサイトのトップにビジュアルがないのはどう考えても問題だ。

【教訓】デザインはアピール。サイトの方向性にあったものを考える。

日記が長続きしない。2002年5月16日の日記に「これで何度めのリニューアルだろうか。三日坊主で日記の更新が止まる度にリニューアルしている気がする」とある。何度も失敗しているようだ。調べたらサイト開設時から日記はあった。その後CGIを使った日記にしてみたようだが長続きしなかったようだ。

「日記が停滞する大きな原因のひとつに『義務感』がある。重要イベントがあったときに『レポートを書かなくてはいけない』とか、『中途半端な物ではいけない』と気負ってしまうとなかなか完成しない。そうこうしているうちに次のイベントが次々に起きてしまい、かくしてサジは投げられる」とあり、原因は分析できているようである。かくして、「気負わない日記」を書きはじめる事になるが、この日記も2ヶ月で頓挫する。HTMLで日記を書くのは更新もインデックスを作るのもひと手間がかかり、それが心理的ハードルになっているようである。

【教訓】サイト更新に伴う心理的物理的ハードルは極力少なくしておくのがコンスタントにコンテンツを更新するコツである。

この頃から『正しいHTML』に目覚め、『W3C準拠のHTML』、『構造(HTML)とデザイン(スタイルシート)の分化』などの勉強をする。ろくなコンテンツもないくせに。

【教訓】仏作って魂入れず。

■2003年 特記事項なし

トップページに絵を置かない方針変わらず。

【教訓】方向性の間違いには早く気付き転換を図るべき。

■2004年 ブログ導入

日記ツールとしてブログ導入。2008年の今まで続いているのだからたぶん合っているのだろう。

しかしコンテンツとして充実しているとは言い難い。当初はもっと『書評』を書くつもりだった。『アニメ消化法』のように書きかけで頓挫したシリーズもある。

【教訓】ツールは自分に合ったものを。自分の更新ペースや書ける量を把握していない計画は頓挫する(2度目)。

ようやくトップページに絵を置くようになる。

■2005年 遅すぎる自己紹介

サイト開設7年目にしてプロフィールページを設置。

【教訓】そのページをどんな人間が作っているのかは書いておいた方がいいかもしれない。

トップページリニューアル、現在のレイアウトに落ち着く。

■2006年 男は度胸! なんでもためしてみるのさ

ネットラジオを始める。11回で頓挫。

【教訓】自分の更新ペースやできる量を把握していない計画は頓挫する(何度目だ)。しかし、興味を持ったものはとりあえずやってみるという姿勢は悪くないと思う。

■2007年 小賢しい技を覚える

仕事でSEOを勉強。自分のサイトにも応用してみる。

【注意】導入は自己責任で。

友人から「From G」で検索したらゲイ専門サイトが一番目に出たと聞き、サイト名変更を思い立つ。サイトの実態に即し『タケノコプロ Web Site』と改める。

【教訓】サイト名はわかりやすいものが一番である。

■2008年 10周年を目前にして引越。ドメイン取得。

3月、プロバイダの運営会社が代わり、元のURLが使えなくなるとの知らせを受ける。新サービスを見てもコストパフォーマンスが良いとは言い難く、レンタルサーバーを借りることにする。ついでに独自ドメインも取得。

http://www.takenokopro.jp/

「ねんがんの独自ドメインをてにいれたぞ!」

4月10日、サイト引越。旧URLは6月30日まで使えるが301リダイレクトによるページランク等の継承にある程度の期間が必要だった。

【教訓】ドメインを取るとサーバーを乗り換えてもURLは維持されるのでオススメである。

■余禄

少々生臭い話をひとつ。

この10年間、ついにリンクページを作らなかったのだが、今ではこれは失敗したと思っている。

サイト制作初心者がやりがちな「無差別相互リンク依頼」、これはあまりお行儀のよくない行為とされている。自分がサイトを作ったのはドリームキャストが発売された年であり、セガBBSあたりではちょっとしたホームページ作りブームだった。私もよく「相互リンクお願いします」と言われたものである(後年のブログブームでも同様の動きはあったようだ)。そのたびにやんわりとお断りするのが面倒くさく、サイト移転などによるリンクのメンテナンスのことも考えた結果、「リンクは自由にどうぞ。でもウチにリンクページはありません」という方式を取っていたのだが……。それから10年、時代が彼らに追いついた。

件の初心者さんたちは単純にクリックによるアクセス数増加を考えていたのだろうが、今はアクセス数よりも重要な意味がリンクに存在する。「被リンク数による検索サイトのページランク上昇」である。

相互リンクという行為はSEO的には正しかった!

もちろん無差別に依頼しまくるのは論外だが、友人・知人同士であれば相互リンクは生臭い意味でも有効な手法なのである。(とはいえ、昨今、被リンク数の増加を目的としたブログ類が氾濫しているため被リンク数は重要視されなくなるかもしれない。自分のSEO知識は少し古いので既にそうなっているかもしれない)

もっとも、自分はそこまでページランクに固執する気はないので、ちょっと思ったことを書いてみただけである。リンクは仲良しのサイト、あるいはオススメページを貼るのが原点であり、そうあるべきだと思う。

【教訓】相互リンクは友人同士でやる分にはやらない手はない。

■そして今 −10年たっても学習しない−

ブログの『アニメ話』が3月の途中で止まっている。3月終了番組の最終回の感想もいくつか書いてるのに。これは視聴期間を一週間で区切ってのその間のアニメの感想をまとめて書く方式にしたために、その週のアニメを全部見ないと更新できないいうことになってしまったためである。正直全部は消化しきれない。また、この方式だとさほど書くことのない作品も何か書かなくてはという気になり心理的ハードルが上がってしまう。4月、7月のアニメも書きたいことはあるのに。特に感想を書きたい作品は独立エントリーにして、そうでないことはさらっと書く(または書かない)ような方式に切り替える必要がある。

【教訓】自分の更新ペースや書ける量を把握していない計画は頓挫する。

■これから

サイトの方向性を「マンガ」に定めた以上、同人誌のサンプルだけではネットオンリーのユーザーが満足度するコンテンツを提供できるとは思えない。

今後はサイトで読めるWEB漫画を増やしていこうと思う。あまりたくさんは描けないと思うが。

■終わりに

今まで当サイトの迷走に付き合ってくれた方々に心よりの感謝を。

最近いらっしゃった方、こんなサイトですがこれからもよろしくお願い致します。

2008-09-03 タケノコプロ くれじじ